実は500円ワンコインで食べられます!
墨田区京成曳舟徒歩1分のもんじゃガレージ「ダコタ」です。
観光地のもんじゃ焼きメニューを見て、1つで1,500円くらいして驚いてますΣ(゚Д゚)
ちょっとしたステーキとか食べられますよね。
そもそも、むかしは子供がおやつに食べていた「駄菓子屋もんじゃ」が、現代は「お食事もんじゃ」に。
複数人でシェアして食べる、1人1品ご注文される食事ではないので、正直お店としては少しでも商品単価を上げたい!という気持ちはあるのですが、明太子が一腹乗った海鮮もんじゃが1,500円って、インスタ映えはするけれど高級料理みたいになっちゃってますね。
もくじ
墨田区にある300円からの激安もんじゃ店を知っていますか?
なななんと、当店「ダコタ」です!(やらせ記事っぽい)
当店のもんじゃはなんとトッピング抜きの小もんじゃだと300円!
レギュラーサイズでも、どノーマルのもんじゃ焼きが400円なので、これに冷えた生ビール500円と、お通し100円(選べる駄菓子)でちょうど1000円でサクッと食べて飲んで帰れます!
400円で食べられるって、安すぎないですか?(自画自賛)
早く食べに来ないとお店潰れちゃいますよ!(汗)。
東京下町のソウルフードもんじゃの発祥は?
さてここでもんじゃの発祥について。
もんじゃと言えば現在では月島が有名ですが、近年町おこしとして成功した例ですね。
月島もんじゃストリートだけで70店舗以上あるらしいですよ。
すごくないですか?
同じ品目のお店が70以上も密集してるって。
元々、もんじゃ焼きの発祥と言えば台東区、つまり浅草近辺と言われています。
文献によると文政二年(1819)の「北斎漫画」に「文字焼き」の挿絵があったので、もんじゃ焼きのルーツが既に江戸にあったと言われています(諸説あります)
文字がかけるほど薄く焼いたものという説や、焼く際に生地で文字を書いたりしたので「文字焼き(もんじやき)」と呼ばれたのが「もんじゃ焼き」の由来という説があります。
戦後の復興の物資の無い時代に、メリケン粉を使った最低限の腹を満たす食べ物として、今のスタイルのもんじゃ焼きが出来ました。
戦争に行った祖父の代では、おやつとして小麦粉を薄くフライパンで焼いて、ソースをつけただけのものを食べさせてもらった記憶もあります。
戦後すぐの時代から昭和40年代まで、東京下町の多くの駄菓子屋の店内に鉄板が置かれ、お小遣いで食べられる値段で小学生でも食べられるおやつとして大人気でした。
今で言う行列店のような席が空くのを待つほどの人気があったのを覚えています。
今では埼玉や栃木にも「もんじゃ」が独自のスタイルで派生していますが、これは当時主要な交通だった日光街道(国号4号線)や東武伊勢崎線によって北へ広がったと言われています。
最初に体験するもんじゃのトッピング、それはベビースターではなく◯◯だった⁉
自分の場合は最低限の50円のもんじゃ焼きを注文。
合わせるドリンクと言えば「ドクターペッパー」が定番でした。
アツアツのもんじゃ焼きをハフハフいいながら。
半ズボンでむき出しの太ももにアツアツのもんじゃ落としたりなんかして悶絶して。
ソースに満たされた口の中に、炭酸キツめのシュワーっとしたスパイシーフレーバーなドクターペッパーでゴクゴク流し込むわけです。
ゲップ、プハー!
ああ、これって大人…。
とはいえ、40年代当時小学生だった私達の世代。
お小遣いの範囲の50円〜100円のもんじゃではいくらでも減る腹を満たしきれません。
「もっと食べたい…この天国のような時間が少しでも長く続いて欲しい…」
しかし、2杯食べるほどお金に余裕もない!
じゃあ、どうするか?
ここは駄菓子屋。
そう、お菓子を入れてカサ増し大作戦です。
僕らの時代はベビースターもありました。
余談ですが、ベビースターって実は即席麺工場で出来てしまう麺のかけらだったというのを知ってましたか?
1959年に製造工程で発生する麺のかけらを従業員におやつとして配ったところ評判となり、商品化
出典:Wikipedia
と書いてあります。
ベビースターは「味付中華麺」という即席麺のかけらだったんですね。
当時は「ベビーラーメン」という名前で、売り出され、その後「駄菓子界のスターになりたい」という願いを込めて「ベビースターラーメン」に改名したそうです。
話は戻ります。
安くてもちょっとしか食べられない駄菓子屋のもんじゃ焼き。
少しでも満たされるように工夫して食べたい。
カサ増しをしたい。
でもお金がない。
そんな時に、僕らがいつももんじゃに入れていたのが
ベビースター…
ではなく、もっと安い麺類スナックがありました!
その名は
「ラメック」
今見ると、いかにも安っぽいパッケージですね(苦笑)
現在のようなデザイン的な要素が皆無!
経営者である父が子供に
「ちょっと描いてみろ」
「うんアタシ描く!」
って描かせたようなブタ。
社長「おお、上手いじゃないか!」
社員「…(苦笑)」
みたいな。
ラメック誕生秘話なんてテレビでやったとしても
「いや、あの、ベビースターをですね、まあ、ちょっと、パクリました」
で5分で終わりそうな見え見えのやつ!
※個人の勝手な見解です
しかし、ラメックさん、これがなんと10円!
当時のお小遣いはだいたい1日50円か100円ぐらいでした。
「ウチは70円」とか半端なヤツはいませんでした。
いや、もしいたら理由を聞きますけど。
その中でのベビースターラーメンが20円、しかし、ラメック10円。
当時の私達はこのような10円代の駄菓子に命を繋がれていたと言っても…過言です、それは過言。
とまあ、もんじゃと言えばラメックだったわけです。
その後、駄菓子屋からどんどん鉄板がなくなり、たいていの経営者はお年寄りだったので、駄菓子屋そのものが無くなっていきました。
(あれ何で子供の頃通った駄菓子屋のおばあちゃんて、こっちが大人になっても同じようにおばあちゃんなんですかね。こっちがドラゴンボールの「精神と時の部屋」に入ってた気持ちになりますよね。)
ま、そんなこんなで駄菓子屋よりももんじゃ店で食べるようになり、躊躇なくベビースターを入れられるようになった時
「ああ、大人になっちまったなあ」
って思うのでした。
ベビースターが無料になる魔法の券
当店では、もんじゃをお召し上がりのお客様にお会計時に「ベビースター1袋無料券」を差し上げています。
次回以降のご来店時にお使いいただけますので、ご利用下さいませ!
もんじゃ食べに来てくださいねー
※ラメックは置いてないですからね
本日は、
向島の深緑堂さんであんみつ
→ 曳舟のDakotaで呑みでした。
優勝!大正義!! pic.twitter.com/hrgKl9DrFt— ムーコおじさん (@naka_nixi) 2019年1月4日